第19回 信虎築城の要害山城跡を訪ねる
山裾を上がり積翠寺温泉ホテルの傍に、要害山城跡登山口を見付けた。城跡へのルートは歩きやすい山道で、ジグザグに山腹に上がり続ける。中腹に至った頃、目の前に土塁と竪堀と思しき地形が現れた。自然のものではなく人造物と見えた。近づくとその案内があり、城跡へと進入。ここから城跡ファンには堪えられない遺構が連続する。門から枡形、右折して郭、また門から枡形、郭と、山腹の地形に沿った虎口と曲輪とが山頂本郭まで七つほど連郭して存在し、城跡がくっきりと窺えた。築城が1520年頃というから約500年前の史跡である。躑躅ケ崎館を拠点としていた武田信虎が詰め城(戦闘用の城)として、その奥に丸山(775m)に築いたという。
目の前に次々に現れる中世城跡に感じ入り、急坂も忘れて山頂へと達した。
城跡碑が建つ本郭は広い平地。一周した後、石に腰をおろして一休み。下山時に虎口を数えたが、途中で紛れてしまった。資料によれば、勝頼が田野で自害し武田家が滅亡した後徳川方が支配して改修を加えているという。
そのような郭もあったが、それでも歴史的にはそう変わりはないと思いつつ、釣鐘状の丸山を振り返り積翠寺から躑躅ケ崎へと下った。
今回は、甲府に、武田神社から積翠寺、要害山城跡、そして甲府城跡を予定して、新宿を出発した。高速バスは道路が混雑し遅れて甲府駅前へ着いた。
躑躅ケ崎城跡のある武田神社を目指す。
武田神社は何年振りだろう。2度、いや3度目か思い出せない程に間が空いてしまった。
左右の水堀を見て、本殿に参拝。裏手へ回り、信玄公思索の道とかを辿る。”人は石垣 人は城”と言って信玄は城を持たなかったと喧伝されるが、濠、土塁と立派な城跡が遺っている。徳川支配後の改修可能性はある。
要害山城へ向けてバス通りを行く。麓の積翠寺に到着、小さな寺で信玄の誕生地。甲斐国守護であった信玄はここで勅使を接待したらしい。古刹には見えないが信玄の産湯井戸が遺るという。
裏庭に回ると小さな庭の端に井戸があった。日本式庭園は夢想国師作のものとあった。
城跡探訪に満たされた気分になって、山道を下り、途中から路線バス乗車を予定していたが、時刻表には、無情にも本日土曜日運休の印し。
疲れた脚を引きずって、甲府駅へ。
駅傍の甲府城跡は次回へ回した。
(2010/4/3歩く)