thomsonbrandy.jp 2.0.7(2008-10-18) トムソンブランディ事業部

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古のロマン・城跡探訪記

第18回 山岳城であった檜原城跡

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武蔵五日市から入った都下檜原村にある檜原城跡は以前から探訪候補としていたが、交通の便が今一であることもあって、未踏になっていた。
檜原村は甲斐と国境を接し甲州古道が走り、その本宿地区は南北秋川の合流地点で、交通の要衝であった。
江戸時代は出入りする人や物資を監視する口留番所が置かれていたという。
このような地に檜原城が室町時代に平山氏により築城されて、戦国時代には歴史に登場している。




先程五日市駅から乗ったバスは秋川沿いに山中を走り、山間の集落を途切れ途切れに通過する。
小一時間と思っていたが、その半ばで本宿役場前に下車した。城跡へ上がるべく吉祥寺を探す。
資料で想定していたポイントとは反対側にあって少し慌てたが、墓地の裏山に設けられた13仏巡りルートを辿れば、自然に城跡へと導かれると城址案内にあった。これが山の急斜面をジグザグに刻んだ急坂で、急登が続く。荒れた峡路の上に崩れた箇所もある。途中からは時々は立ち止まりながら前進。やはり山登りであった越後坂戸城や信濃葛尾城を思い出した。所々に13の各観音等が建つが仏の一つに代表参拝して、他は省略。どうにか上がり切って平地になり回り込んで、城跡へと進入した。
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風化し崩れているものの独特の直角に曲がった虎口がハッキリと見えた。
広くはない削平地が三段ほど重なり最後の最高地(標高450m)が主郭と思われる。
都指定史跡で、尾根伝いに築かれた梯郭式の郭は土橋で繋がれているとあるが良く分からない。
山林に囲まれて展望はなく、僅かに南側に頂上が見えるだけだ。

檜原城の位置としては、対甲斐武田への備えであったろうが、山上城では兵の常駐や攻撃は叶わず、監視や牽制の意味が強かったのであろうと想像したが、次の五日市戸倉城から八王子城、滝山城への情報伝達の役目があったという。
戦国期は北条方に属し、1590(天正18)年の秀吉小田原征伐の際豊臣方に攻められて落城し、城主平山氏重と長男新左衛門は自刃したという。

主郭で休憩して、更に奥へと考えたが、直ぐ下に深い堀切があって、道筋も僅かな踏み跡なってしまった。左右に分かれる溝は竪堀だろう。慎重に下りてみたが、危険箇所である。転けても他には人影は見当たらず心細く、藪へ突入するのは止めて引き返した。下山時、杉林の間に本宿の街並みが覗けた。

吉祥寺から南秋川を少し遡り吉祥寺滝を眺め、春日神社に立ち寄り神木欅を見上げて、佛沢の滝へ。滝入口の豆腐店で、土産に名物の手作り豆腐を求めると、オカラをオマケしてくれた。
                       
                                              (2010/3/22歩く)