thomsonbrandy.jp 2.0.7(2008-10-18) トムソンブランディ事業部

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古のロマン・城跡探訪記

第16回 土肥城跡から相模湾を眼下にして湯河原に下る

未だ紅葉が残る椿ラインを元箱根行きバスの車窓から眺める。バスを降りて周囲を見渡すと、天候は良く前方に箱根方面の山々が展開している。史跡しとどの窟に寄ることにする。

1184(治承4)年、源頼朝が石橋山の合戦に敗れて旗揚げに失敗し、土肥城主土肥実平の助力で一時身を隠した岩屋という。谷底近くにある岩窟へ下る途中、苔むした舗道の急坂に滑って転んでしまった。右膝を打ったが大したことはなくしとどの窟を見学した。良く敵兵に見付からなかったと思うほど大きな岩穴。往時は深い山中で道も無かったのであろう。
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谷から上がって、城山へ向かう。大勢のグループと交差する。城山ハイキングコースとして整備されて、人気コースのようだ。30分足らずで城山山頂(563m)に到着。資料で見た「土肥城跡」の石碑がど真ん中に建っていた。早速、相模湾から太平洋を眺める。眼下の左に突き出たのは真鶴半島、その奥は三浦半島、右手は伊豆半島の付け根だろう。中央の島は初島だが、資料にある大島や他の伊豆七島は見当たらない。資料通り展望は抜群だ。鍋を囲んで昼食中のハイカー達の間で休憩を取り、熱いお茶を飲んだ。本日から12月で、忘年山行を楽しんでいる一行かもしれない。

標識に従い下山を開始、「湯河原駅3.7km」とあり、一時間強と見当を付ける。城跡を窺わせる郭跡や土塁跡を確かめながら、ゆっくりと下る。山道から舗道となり曲がりくねった林道を進むが地図と標識が不十分で現在地が読めない。今度は真鶴半島が正面に来た。ラジオを聴きながら懸命に歩くもどの位下ったのか不明だ。NHKラジオで放送された「土曜ほっとタイム」では山形からの中継で、山根アナと西川町在住の直木賞作家高橋某と対談している。僅か標高560mの山だが海岸線近くで、急降下が続く。バスで上がったのは正解といえる。

密柑山のある農家の間から、城山学園傍を通ってようやく現在地を知り、コースに誤りがないことを確認。城願寺に着いて小憩する。同寺には城主土肥一族の墓があり、また頼朝に纏わる七騎堂(能「七騎落ち」で知られる安房に落ちる際の故事)が祀られていた。後に鎌倉幕府を開いた頼朝は、土肥実平の功に報い、早川庄(現小田原市一帯)を与えて幕府の重鎮にしたという。その子孫は守護として備後に赴き小早川氏を名乗り、戦国雄の毛利元就の子として有名な隆景の入り婿先が同家である。境内のびゃくしん(柏槇)の樹は樹齢800年の見事なもの。記念にカメラに収めた。寺から湯河原駅はJR東海道線高架を潜った直ぐ先であった。
                                                     (01/12/1歩く)