thomsonbrandy.jp 2.0.7(2008-10-18) トムソンブランディ事業部

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古のロマン・城跡探訪記

第14回 肝心の殿塚、姫塚見学を忘れた石神井城跡探訪

石神井城の落城悲話はあまりにも有名である。同城主豊島泰経は、1447年、江戸城主太田道潅に攻められて敗れ、家宝の黄金の鞍を着けた白馬にまたがり三宝池に身を沈め、その長女照姫も後を追って入水したという(「歴史と旅」昭和59年12月147頁)。そして、その後天気の良い日には、黄金の鞍が池の底に光って見えたと伝えられる(人物往来社「日本城郭大系」東京都266頁)。
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石神井公園は二度目。およそ20年前、運転免許取り立ての頃家族でドライヴした所。同公園内に城跡は見付かる。石神井城は、平安末期から室町中期頃に北区、板橋区、練馬区など現城北西一帯に勢力を張った豊島一族の居城の一つで、石神井川と三宝池とに挟まれた台地に位置したというが、現在ではその感じは分からない。主郭跡は土塁、空濠等を保存するため、立入禁止とあった。後世に史跡として残すためにはやむを得ないだろう。それでも、林内に空濠などの旧状が窺えた。戦国ロマンに浸りながら三宝池を一周りした。

現在二の郭跡に位置する氷川神社は、城主豊島氏が武蔵一の宮、大宮の氷川神社から勧請したもの。本殿前の灯篭は江戸期になって豊島氏の子孫が献灯したとあったから、豊島氏が道潅との戦いで全滅したのではなかったらしい。参拝した後、寅の絵の絵馬を求める。

石神井城跡周辺には古刹が多い。ついでに、長命寺、観蔵院、禅定院、道場寺、三宝寺を巡る。その多くは落城前に開山されたようで、往時の繁栄振りが偲ばれる。古刹に相応しくそれぞれの境内に菩提樹、ひば、くろまつ、さるすべりの古木が繁り、練馬の名木として保存されていた。道場寺は豊島氏の菩提寺であり、また、三宝寺の御成門は三代将軍家光に由来し、隣の長屋門は勝海舟邸の門であったという。

石神井駅へ向かったが、その途中、豊島親娘を葬ったという、殿塚、姫塚を見学するのを忘れたことに気付くも、戻る気力はなく、次回に残すことにした。しかし、豊島泰経は平塚城(現北区)を経て、小机城跡(現横浜市)に逃れたというのが史実。

往きは西武線を利用し池袋駅を経由したが、帰りはバスを東武成増駅で乗り継いで帰宅した。たまは机の下で爪を磨いでいた。               

翌年再訪して、姫塚は探し当てたが、殿塚は見付からなかった。
                                              (98/1/31,99/10/3歩く)