第12回 青梅に今井城跡を探して
青梅にある今井城跡を探して、八高線金子駅をスタートした。
手にはインターネット検索で入手した地図があり、そこには城跡の記号が記されている。
霞川金子橋を渡って入間市から青梅市へ入り、今井地区を過ぎ、岩蔵街道七日市場交差点を越しても城跡へ右折する地点は見付からない。城址の所在を聞いた処、今井城には首を傾げたが右折して左へ回り込んだ先に城跡公園があると言う。
その通りに進み再び霞川を渡る手前で、ようやく誤りに気付いた。今井城跡は川向こう加治丘陵山裾の筈だ。そうすると手許の地図上の城跡記号は別物に違いない。
橋を渡って再び尋ねるとやはり今井城跡は大分金子駅寄りの小山の上にあると教えてくれた。
今井城跡は、山根通りと呼ばれる旧道を遡った左手小高い山上に静かに眠っていた。
周りは住宅街が迫ってはいるが一画だけは林として残存し、その中に、深い壕跡、土塁そして郭跡と中世城郭を今尚くっきりと示している。築城年代は不明だが、今井四郎左衛門経家の子孫数代が城主として伝領した後天正年間(1573-92年)に断絶したと言う。
しかし、一説によれば、三田氏の勝沼城を監視するために、今井氏館跡に小田原北条氏が築いた砦程度の城との見方もあるようだ。地方豪族の城跡としては小規模であり、勝沼城が僅か一里に満たない西方に存在し、当城の主な要害がそちらに備えたとみたのかもしれない。
城跡を示す案内がないまま一巡りしたが、住宅地からの入口に小さな標識版があった。
急遽、往路に偶然出会いそうになった藤橋城を探すことにする。前方に多摩の山々を眺めながら今度は逆に山根街道を歩いた。
城跡藤橋城は、先ほど聞いた地点に見付かった。
現在は公園で、主郭を囲む正方形の土塁やその下には腰郭や壕跡とおぼしき痕跡も確かめることができた。
今井城と同様に、築城期は不明で、戦国時代には平山越前守重吉が居住したと伝えられる程度とある。そして、やはり北条方に属したらしい。
二つの戦国城跡を見学して、金子駅へ出ようとし七日市場バス停で、バスを待った。
(07/4/15歩く)