thomsonbrandy.jp 2.0.7(2008-10-18) トムソンブランディ事業部

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古のロマン・城跡探訪記

第11回 復元された城は山の上にあった荒砥城

荒砥城へのアクセス
上田駅で長野新幹線から信濃鉄道に乗り換え千曲川沿いに戸倉駅に向かう。
坂城駅を過ぎて左手山上に建物らしきものが見えた。あれか ! 相当に高い地点だなと一応覚悟はした。先ずは上山田温泉を目指してスタート。
戸倉の街から千曲川を渡る。袂にある市庁舎には未だ戸倉町役場と刻んであった。川に架かる大正橋は長く10分近く要した。温泉街を抜けると城山の交差点。荒砥城案内板を見付けてコースに誤りがないことに安堵するも、距離が不明。資料には千曲川が山裾の崖を洗い城の天然の要害となっていたとの記述があったから、そう遠くはないと読む。先ほど温泉街歩行中山の上に見えた柵は城のものかもしれない。
途中、展望台で小憩。千曲川を挟んだ山の間に街並みが細長くうねっているのが見えた。
長い九十九折れの端を折り返すとチェックポイントの寺院となった。直ぐ先に城への入口が見付かり、歩き始めて丁度1時間であった。
k11-1

城を巡る攻防の歴史
荒砥城の歴史については詳しくは分からないようだ。
信濃の当地を支配した村上義清の一族山田氏が1524(大永4) 年に築いたとされる。
村上氏が信玄に越後へ追われた後には、武田方の屋代氏に代わったらしい。設楽が原戦を経て武田氏滅亡後は屋代氏は上杉方に属したが、家康の懐柔策に乗じて蜂起するも失敗して、以降は上杉景勝の支配するところとなって、その後廃城になったという。
小豪族が割拠した戦国時代の信濃は、隣国の武田と上杉の草刈り場となって、戦の度に右往左往して翻弄されたが、当城もその一つであったようだ。




復元された中世の城郭
最高地に本郭、次に二の郭、三の郭、四の郭という縄張りの連郭式山城である。
二の郭には門と櫓、本郭にはやはり門と館、兵舎が復元されている。いずれも木造のシンプルなものだ。
この時代の城や砦の絵図は現在に伝わるものはなく、想像図によるらしい。
村上氏の葛尾城(94.4.25)は千曲川の対岸山上に見えて、指呼の距離だ。
それにしても、山が連なり平地はその間隙を縫って千曲川に沿ってあるに過ぎない。
このような地でも覇権を争ったのだから人間の業は尽きないとしか言いようがない。
暫しの間、本郭からの展望を楽しみ、展示品を眺めて、また復元の城郭をカメラに収めて、戦国期に浸った。
                                               (07/3/18歩く)