thomsonbrandy.jp 2.0.7(2008-10-18) トムソンブランディ事業部

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古のロマン・城跡探訪記

第9回 美濃山中に残る山城跡に感激する

我が国三大山城の一つ岩村城跡を先月の高取城跡に続き訪ねる。岩村城は、戦国時代、武田、織田の攻防の拠点として知られ、城主遠山氏未亡人・信長の叔母が城主となったことや武田方の将秋山信友との政略結婚、武田滅亡後森蘭丸が城主となったことなどで有名。そして、明治まで残った中世山城の一つである。

連日の乱行が祟り、危うく寝過ごすところであったが、 名古屋駅に駆け付け中央線で恵那に向かう。恵那駅で明知鉄道に乗り継ぎ岩村駅下車。岐阜県岩村町は静かな山麓の町のよう。城跡への標識に従い歩き出す。
町並みは、奈良県高取町程ではないが歴史を感じさせるもの。城への街道の両側に低い木造の家並が続く。当時の御用商人の商家がそのまま残りっている。
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町外れで左折し右折すると櫓の下に出る。太鼓櫓で最近再建したもの。城跡への登り口になり、石畳の道。すぐ下田歌子の碑があった。当地生まれで近代教育の先駆者と知る。坂をジグザグと上ると大手門跡。武者返しと呼ばれる石垣が綺麗な曲線美を描いている。その先の右側に龍神の井、更に霧ケ井戸。秘蔵の蛇骨を放り込むと霧が立ち、戦時に城を隠して敵を欺いたと言う。

菱形石垣を右に見ながら進むと本丸跡。意外と広い。左右の眺めが良いが生憎の天候で遠望は利かない。鶴舞の井戸があり、これ程の数の井戸が現存する城跡は初めて。埋門を通って出丸へ。ここのは敵来襲時には埋めてしまうので埋門とのこと。本丸石垣下の先に中世の城郭跡、南曲輪が取り遺された形で残っていた。再び同じ道を通り下城する。途中、当時の豪商木村邸を見学。規模的には岩村藩三万石に似合った御用商人邸か。

岩村城は、高取城、備中松山城と違い、山の上に築かれた城ではあるが、城下は近く山の中の城ではない。笠間城や宇和島城、佐伯城も山の上である。
本丸跡が721mと言う高度から三大山城の一つと言うことであろう。恵那へ向う明知鉄道はどんどん下っている。岩村の造り酒屋で求めた地酒は岩村城に因んだ「女城主」であった。
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恵那駅から中津川駅に出て、苗木城跡に向かう。苗木城は、岩村城の祖遠山氏の一族が築いたと言われ、関ヶ原後はその子孫が継承して明治まで続いた同家一万石の居城である。

丁度バスがあり苗木で下車する。岩村町と同様に、両側に低い民家が並んだ城下町特有の道を上る。程なく山中となり、苗木遠山史料館手前を左に折れて更に進むと、風呂屋門跡に着き城跡内。風吹門を通って三の丸跡。

資料にあったように石垣に利用した大石に驚く。多分自然石であろう。
途中、ジョッグ中の妙齢のご婦人に挨拶されて、慌てて返礼をする。本丸は峻険な山頂を利用したもので、その跡へは、渦巻き状に上る。しかも狭い険しい石段で、岩村城跡より山城らしい山城。大石が随所に見受けられ、その一つが馬洗岩。戦闘中水手を切られた際、この岩の上で米を馬に掛けて水のように見せたという。戦国時のこの手の話は良くあるもの。馬をどうやって上げたか疑問な程の大岩。本丸跡は狭い山頂。一方が木曽川へ崖となって落ち込んでいる正に天然の要害。眼下に木曽川、バスで渡った橋を見る。巨石がありこの上に天守があったという。

下山途中の千石井戸から、的場跡を通り清水門跡、仕切門跡、龍神大神の祠を通って二の丸跡へ出る。二の丸は城主の居館があったところで、土台石が整然と残っている。矢場跡を初めて見る。的用の盛り土・あずちが確認できた。岩村城跡でも感じたがく門跡がやたらと多い。山城では重要な役目を果たしたのであろう。苗木遠山史料館を見学して、帰途に就く。この度の城跡探訪ハイクは石垣、門、井戸、巨石、的場等となかなか珍しいものを多く見ることができ、また苗木城は、中世の山城そのもので、よく明治まで持ったものだと感心した。
                                                          (96/10/8歩く)