第6回 八ヶ岳南麓に甲斐武田史跡“信玄棒道、新府城跡”を巡る
三分一湧水から棒道を歩く
海の日を含む三連休だが、天気が良くない。小淵沢駅で小海線に乗り換えると雨が降っていた。甲斐小泉駅に降りて、傘を差した。小荒間古戦場跡に出会う。早速武田信玄縁の史跡である。天文9(1540)年信濃の村上義清と戦い勝利を収めた地で、御座石という大岩が遺っていた。
次の三分一湧水は良く知られている。八ヶ岳山麓に湧く水源を下流の三か村に平等に分水するため、独特の工夫を凝らした水門である。溜池の真ん中に、上流からの流れを受けて分水方向と水量を決める△形の石を配置したもの。これも信玄が絡んでいるという。林の中にある分水池を見学者に混じって見て回り、カメラに収めた。
小降りの中信玄棒道を目指す。戦国時代信濃攻略のため、信玄が軍用道路として、信濃へ向けて軍馬用に真っ直ぐな道を上中下と三本築き、八ヶ岳の麓には現在も上道の一部が遺っている。集落最奥の民家を過ぎると森内の小径となるも、棒道にしてはやや狭く険路でもある。別荘地帯の裏に出て一変した。森林の中幅広い空間が直線として先に延び、その中に一本道が続き、今では遊歩道となっている。これならば、急を告げるため馬を走らせ、あるいは味方の救援に武田自慢の騎馬隊を急派出来たろう。
予定通り11時に車道に突き当たり、小渕沢へ向けて左折。棒道は未だ山中へと続く。隣を走る八ヶ岳公園道路を見ながら、別荘地帯を進み、小海線踏切で電車を見送り、中央高速道路下から小淵沢の街に入って、12時過ぎ駅に到着。連休中の小淵沢駅前は人出があった。
能見城跡から新府城跡へ
中央線を穴山駅に降りるとまた雨。当地は武田家譜代の家臣というよりは、一族の穴山家の本拠地。梅雪が有名だ。駅前にはその案内があったが、梅雪が武田家を裏切り、最後は本能寺の変に巻き込まれて惨殺されたことは記していなかった。駅前の小山が能見城跡。夏場の山城跡探訪は草木が茂って難しい。それに今回は雨が重なって衣服がずぶ濡れ。登り詰めた山頂は上水場で、そこに城跡の案内板と、守屋一族発祥の地という石碑のみがあった。武田家との関係は不明。穴山城と示す資料もあった筈だが、同城跡は別の地に存在するらしい。同じルートを下って新府城跡へと向かった。
新府城跡には思い出がある。二度目で、最初の時は、遅い夏休みに越後高田城から始まった城跡巡りの仕上げとして、上原城跡から新府城跡へと辿り着いた(93/9/26)。桃畑の中から城下に着く。
250段の石段は避けて、大手口から坂道を上がる。広い城跡を三の丸、二の丸、本丸へと進む。土塁や空壕の外、馬出跡も遺る。城壁七里岩を洗い天然の要害であった釜無川は現在では大分先のようだ。長篠設楽ヶ原で大敗した勝頼は、当地に新城を築いて、天正9(1581)年甲府を離れた。しかし信長の侵攻は素速く、僅か二ヶ月で岩殿山へ後 退することになり、城に火を掛け、途中の天目山にて最期を遂げたことは余りにも有名だ。400年以上前の話で、現在では勝頼の悲劇を感じさせるものはない。新府駅への途中で初めて見学者一行と擦れ違った。
(06/7/16歩く)