thomsonbrandy.jp 2.0.7(2008-10-18) トムソンブランディ事業部

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古のロマン・城跡探訪記

第3回 商都松阪を城跡から市街へと下る

名古屋で乗り継いだ紀勢線を松阪で降りた。賢島で開かれる同業者の集まりの途中である。目当ては松阪城跡。城の外は牛肉位のイメージであったが、登城中に本居宣長像に出会った。当地の出身で、晩年は松阪で過ごして活動したという。本居神社や記念館もある。

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駅前から鍵状に歩いて 、市役所前を過ぎると大手口であった。突然出現した石垣に驚く。高石垣である。秀吉や家康と同時代名将といわれた蒲生氏郷が1588(天正16)年に築城したもの。野面積みではあるが頑丈な石垣は無骨にさえ見えて、氏郷を今に伝えているようだ。二の丸から本丸へと上がる。本丸跡に立つと現在では松阪市内が四方に広がっている。城跡は意外に小規模で狭い。城を囲んでいた壕跡は市街地に消滅して主要部のみ遺ったのであろう。会津に移った蒲生氏の後を古田織部が継ぎ、その後は紀州藩の飛び地となって御勤番屋が置かれていたとある。

城内にある宣長の住居跡を覗いて、下城する。直ぐ先の本居神社に参拝し、門前の食堂に入って昼食。山芋とろろ汁と麦飯の健康食とした。大通りのレストランで見た松阪牛は土産どころか、昼食にもちょっと手が出ないほどの値段。今夜のパーティに期待することにした。城内先には、御勤番長屋が現存して、しかも子孫達の一部が今も居住中という。彼らは紀州候の陪臣であったため、明治初期に一騒動があって結束を固めたようだ。その時創った「苗秀社」は合資会社に改組されて、現在も続いているとあった。そんな歴史的遺産を眺めて市内へと下る。

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偶々左折した通りの左手が、商都松阪を象徴する松阪商人の代表長谷川家。江戸時代の儘のような平屋の大邸宅である。隣の通りには、三井高利の生家跡、三井家発祥の地があった。先程来携帯には収容できない位、シャッターを切り続けている。電池も心配になってきた。賢島への時間が迫り、急ぎ足で松阪駅に戻った。
小津安二郎が当地の出身で、記念の青春館があるが本日は休館日と駅前案内所で知った。

会合の翌日は伊勢路熊野古道ツヅラト峠を歩く予定で準備し、宿泊先を確保していた。生憎天気予報が的中して台風が襲来し、キャンセルして追われるように帰京した。歴史の街松阪は城跡だけではなかった。手元に資料(小学館「城郭と城下町3 東海 松阪城」154頁以下)はあって事前調査を怠ったのが残念。

                                       (歩いた日:2008年9月15日)