第1回 中世城跡飛山城跡から鬼怒川を望む
これまで300前後の城跡を訪ねたと思う。近世の白亜の天守もあるが多くは戦国期以前中世城跡である。
今回の飛山城跡は遺構といい、規模といい、保存状態といいこれまで経験したことない中世城址であった。関東平野の北の中心宇都宮郊外駅からバスで20分程の地に静に眠っていた。
飛山城は、凡そ700年前の鎌倉時代の後半1293(永仁1)年頃に芳賀高俊が築いた。
隣地の一大勢力宇都宮氏の動静に翻弄されながらも、芳賀氏の拠点として、秀吉の天下統一がなった天正年間(1590・天正18年)まで、12代に渡って約300年存続したという。しかし歴史表舞台に登場するようなことはなく、北関東で一時活躍した豪族芳賀氏の象徴としての役割を果たし消えたもので 、一地方の城の一つであろう。
先ずは城跡の広さに驚く。
大手口から入城。木橋が復元されていた。
ほぼ長方形の城内を時計回りに巡る。先程城外の資料館で略図を入手した。
外側は濠で防御されていることは言うまでもない。
三連休中なのに人影はなく、単身侵攻する。現在では郭跡といえども木々が林立している。土塁に上がって濠跡を覗き携帯に収める。
簡単な櫓が組んであって烽火用とある。初めて見るもの。
搦め手側は鬼怒川が自然の要害である。
高台から眺めた鬼怒の清流に暫し見とれた。
晩秋の午後、眼下に広がる悠久の流れが滔々と続いている。
城の兵も警備しながらも同じ風景に和んだであったろう。
中央に走る濠跡へ 沿って大手口方向へと戻る。
土橋が蘇っていて、その先には格子堀があり、後北条氏の城跡に見られると説明があった。山中城跡や河村城跡にもあり、北条氏築城の特徴とあったのを思い出した。濠跡を越して北半分の郭跡へと侵入。こちらが本丸で城主の居館であったようだ。城外に出て、濠に沿って半周。櫓台も整備されている。北側は、鬼怒川面と同じく、自然の崖となっていた。城の規模にしては濠は狭い。多分埋まってしまい復元は難しいのだろうと想像。土橋や木橋、櫓台の外、他の城跡では見られない門、将や兵の詰め所も復元されていて、先程見学した。
城跡見学に満たされた後、余韻に浸りながら市内へ戻り宇都宮城跡へと回る。
最近城郭が再建されたと聞いていた。
探し当てた城跡は確かに近世の城に見られる白壁の大手門や櫓があったが、どうもビル感覚、イベント施設と見紛うもの。
栃木県庁前が青東駅伝最終日のスタート地であることを思い出し、立ち寄った。既に中止になった大会ではあるがこの時期東日本を縦断して、本日辺りが大手町新聞社前ゴールの筈であった。県庁は直ぐ近くであったが何も駅伝競争の痕跡はない。
わが山形県出身で中大箱根駅伝で活躍した松田和宏選手は、高校3年の時最終日の第1走者となり実業団選手に混じって見事区間勝獲得して、一躍全国区選手となったコースである。何年前のことであったろうか。
駅前で、当地の名物餃子を戴いた。
意外にも、名物には美味いものなしの例外であった。 (2008年11月3日)